第七章 SingleGirl編

1988〜1990
ピンク・レディーの更なる発展は 次の世紀に移るまでのこの10数年で大きく変化する




pinklady single girl


 
いまがChoice
シンガーMIEとして「NEVER」などの ヒットを放った黄金期?(ソニー時代)から時は流れ、ポリドールレコードへと移籍。第1弾シングルは前作に引き続き「サンデンカーエアコン レザム」イ メージソング「いまがChoice」。
まさにその時の心境にピッタリかな?と思います。
移籍という新しくスタートする中彼女の中で、まさにいまが旬ではなくやっぱりChoiceなんでしょうね。今までのソロ活動の中でいろんなものを Chiceしてきて、栄養にしてきた彼女が更に躍動しようという意気込みが感じられる曲ではありますね。
この曲はお昼の番組で歌っているところを当時見た記憶があります。
ソニー時代から続くさわやかな明るさの系列の曲でMIEちゃんにはこんなライトな感じはよくあっているなあと思ってました。イントロからまさに夏。砂浜に でっかい太陽と青い空が浮かんできそうな曲です。
エアコンのイメージソングというのもあったのでしょうが、さわやかな路線はやっぱりMIEちゃんのお得意中のお得意ですね。
でも、もうちょっと早い時期のリリースでもよかったのでは?と思ったりもしました。
解散直後、年齢の割にはちょっと背伸びした路線が多かったのであの頃こういった感じの曲で勝負してみてもよかったかなあなど思ったり・・・でも、MIE ちゃんはピンク・レディー時代から変わらず精力的な活動をしてましたので、やっぱりこの時期のリリースで正解!と思い直す僕でありました。









keiの新たな る挑戦 フランスデビュー

哀色の印象-AVEC LE FEU
ピ ンク・レディー時代。もっとも大きなプロ ジェクトはアメリカデビューであった。
解散後、MIEがチャリーズエンジェルに出演予定となっていたが、実現には至らなかった。
そんな折、歌手活動を再開したケイこと増田惠子はkeiと名前を変え、フランスの音楽界へデビューを果たす。
このビッグニュースは88年の秋飛び込んで来た。
この時まで、ピンク・レディー解散後のふたりの活動はパッとしなかったので、久々にメディアを賑わしたことはピンク・レディーファンにはたまらないことで あったのではなかろうか?
 この頃から再びピンク・レディーという存在の付加価値は高まっていくことになる。
当時、僕は20才そこそこ、至るところでピンク・レディー関連の記事を見つけては買いあさっていた。
今となったらすご〜く貴重?かなとも思えるこのケイちゃん関連の記事いくつかご紹介しよう。



まずは、写真週刊誌に掲載された記事。
この記事の中に「ピンク・レディー時代に米国進出に失敗したにも関わらず・・・」という文章が出ている。
この頃は、まだ真実が正確に報道されておらず、こういった軽い報道が後々まで尾を引いて来たのだ。当時ムッとして読んだ記憶がある。


続いて、某音楽雑誌に掲載されていたもの。

この写真のケイちゃんを見ると、ほんと化粧栄 えのする。ベッピンや〜と思ってしまいます。
この時、出したアルバム「VOICE COLOGNE ボイス・コロン」は日・仏そして英語圏のイギリスなどでも、発売されました。
英語バージョン、フランス語バージョンそして日本語バージョンとさすが、1度は海外で仕事をしたことがあるだけに言葉の壁はすんなり越えてしまった感があ ります。
ボーカル自体もピンク・レディー時代、アメリカで発売されたアルバムと同じように、ウィスパーボイスや今回はもっと凄い!ファルセットを多用し、流れるよ うな透明感を実現。
ピンク・レディー時代に多くの夢を振りまいてくれたケイちゃん。
ソロとしても、只者ではない!仕事振りにわれわれファンはいまだに敬意を表します。

当時、タモリさんのミュージックステーションや今はなき、トーク番組「おしゃれ30 30」などで果敢にアピールしていました。

このトーク番組の中で「解散」の真実について語っていたケイちゃん。
解散後、お互いに真実に触れることなく時間だけが過ぎていった。
しかし、この88年9月のケイちゃんの誕生日の日パーティを開いてくれたミーちゃんに初めて「ごめんね」と言ったそうで、その時ミーちゃんは「ケイは悪く ないけど!・・やっぱりあんたが悪い・・・」みたいな答えが返ってきたそうです。永い間、この「ごめんね」を言いたかったとケイちゃんは語っていました。 この時から二人の仲はまた急速に時代に呼ばれるかのように接近していったのかも知れません。
時代がまた二人の存在を要求し始めて来たのです。
この時のエピソードをきっかけに何かが抜けて、スッキリした気持ちでフランスの仕事に取り掛かったそうで、それでこんなに綺麗なケイちゃんが現れたので しょうね。実に魅力的ではないでしょうか?
 後々、昨年のケイちゃんの自叙伝の発表で真実は全て語られましたが、その真実はこの時のトーク番組でほんの少し顔を覗かせていましたね。

では、次にこれも凄い。スポーツ紙ではなく、読売新聞に掲載された記事です。
ケイちゃんのフランス製のアルバムを高く評価されています。



では、以上ケイちゃん関連のご紹介でした。次回はこのアルバム「ボイス・コロン」にス ポットを当ててご紹介いたします。ではまた!



みなさ〜ん久しぶり〜!
元気でしたか?僕も元気でしたよ〜
ケイちゃんのフランスデビューみなさん記憶にありましたか?
凄いよね〜さすが!ケイちゃん!!ってミーちゃんも以前東京音楽祭なんかに出ててたりしたし、二人ともピンク・レディー時代に培った力で大活躍だよね〜
さて、こぼれ話。ケイちゃんのフランス盤は管理人さんも上で書いているようにフランス語、英語そして日本語盤と出されたんだけど、最初フランス国内での発 売のみの予定だったらしいんだ。でも、評判が良くてヨーロッパ全土での発売になったらしいよ。
ところで、アルシュって覚えてる?当時アルシュサミットが開かれたところなんだけど、そこでケイちゃん歌ったんだよ〜発表会ということでね。
上の記事がその時のもの。
そして当時ニューヨークらのタワーレコードにもこのケイちゃんのフランス盤並んでたんだって〜すご〜いね。元ピンク・レディーのケイってね。
やっぱり、だてにアメリカ進出したって訳でもないんだということ。この辺りでわかるかな〜
当時あの松田聖子さんがアメリカ進出を賭けて頑張っていた頃なので、ちょっとケイちゃんのフランスデビューは記憶にある方とない方がいるかも知れないけ ど、ホントに大胆な復活〜でしたね。
じゃ、またどこかで出てくるね〜バハハ〜イ



ケイちゃんのボイスコロン読んで字のごとく、声の香水というタイトル。
粋なタイトルじゃあ〜りませんか?
内容もさすがさすがの内容です。
1曲目から続けてまず、流れのいいところに耳が気付く。ケイちゃんの新境地ととれるのはあの低い声ではなく高い音を意識的に使っているところである。新た なる旅立ちとでも言おうか?ファルセットを多用し、まさしく透明感豊かに仕上げている。
歌のうまい人そうフランスのプロデューサーがおっしゃっていたことがよく分ります。
曲調もアップテンポありバラードありそしてミディアムありのバラエティ豊かな曲たち。
日本で以前ヒットした曲「雨音はショパンの調べ」を想像いただければお分かりになるであろう。最新の音の中ピアノの音が実にフランスチックである。
このアルバム当時ファン以外の方からの評判がいいと耳にしたことがある。
普通に流していたらケイちゃんだと気がつかないかも知れない。(ときおりケイちゃん独特の節回しで気付くかな?)
 このアルバムからのシングルカット「哀色の印象」は日本語バージョンでありますが、英語盤の「I Dance With Fire」というバージョンも発売しています。そしてこのアルバム1曲目でカップリングとなっている「SimplesConfidences」のアレンジ 違いも発売しています。
ファンの方ならご存知ですかね?
この事実がケイちゃんのフランスデビューが鳴り物入りの出来事ではないことの証拠のように思います。
哀色の印象の場合、僕の個人的見解では日本語バージョンが一番しっくり来ます。
日本語バージョンの場合でも半分以上はフランス語ですがその配分が実に快適に聴こえてしまいます。英語盤は僕の印象的にはもっとアレンジがキツかったら合 うかな?という感じです。曲の印象からして英語の歌詞はちょっと不自然に聴こえてしまいます。慣れってもんでしょうか?フランス語の歌詞がゆるやかに落ち 着いて聴けるのに対し、英語の歌詞は言葉が字余り!ってな感じです。このアルバム2曲目のSomeKindaGuyのようなポップス色の強い曲は英語で バッチシという印象を持ちますが、哀色の印象の曲の場合そのイメージの割りに歌詞がきつくそして忙しく聞こえてしまいます。
そして、ケイちゃんの場合、英語は以前ピンク・レディー時代のキャリアが生じてなんなくクリアの印象はあります。
が、フランス語がこんなにハマルというのがとても神秘的です。
本人曰く「前世はフランス人」だったのかも?知れませんね〜^^
そして、「SimplesConfidences」のアレンジ違いですが、これがまた・・最高にいいです・・・。
アルバムの1曲目を飾る曲ってそれなりの曲を持ってきますよね。このアルバムもそうです。
インパクトよりじっくり聴ける曲でスタートしちょっとアップテンポで景気付けそしてその流れで最後まで・・という実にいい流れでこのアルバムは作られてい ます。
その1曲目、イントロが弱冠長めではありますが、それがとても”いい間”を提供してくれます。
欲をいえばこのままこういったアルバムをもう1枚と思いたかったのですが、そりゃチト無理のようでしたが、解散後ピンク・レディーというデュオの栄光を垣 間見た気がしました。


ピンク・レディー復活!


今年2005年(平成17年)は父の17回 忌。
12月ですのでもうすぐです。あの美空ひばりさんが亡くなった年と同じ年、私の父は他界しました。
そんな時にこのコラムを書くこと自体、不思議な因縁を感じます。
ちょうど、昭和から平成へと時代が変わった年、単に変わっただけでなくそれから今まで時代の流れは急速に早まりました。
携帯電話やネットコミュニケーションの普及など、あの頃想像も出来ないことだらけです。
時に平成元年(1989年)大晦日、そんな時代の転換期にひとつのメモリアルとして昭和を彩った歌手たちが勢ぞろい、現役引退または他界した方たちは VTRでの出演となりました。
その昭和を彩った方たちの中に我らがピンク・レディーも入っていました。
ピンク・レディーと紅白といえば、78年の出場辞退以来、まったくといっていいほど、縁の無かった番組でした。
あの紅白辞退問題は裏番組のため、と当時かなりのバッシングをあびましたが、僕は「いや、違うミーちゃんケイちゃんはあの子供たちのためにやったんだ」と 信じていましたが、最近やはり裏番組のためだったことがわかりました。事実は小説より奇なりと申しますが、(意味ちがう?笑)
大人になってやはり世の中表もあれば裏もある。と改めて認識させられました。
 ま、でもその紅白に1日だけの復活!となったのも78年当時の関係者がいなくなったこと。そしてその事自体が時代が変わっていったことを意味しました。 同じく再結成にて初出場を果たしたザ・タイガースは現役当時、髪の毛が長いという理由だけで、出場出来なかったとか?
閉ざされた封建的な時代がそのようなことの象徴だったように感じます。
でも、一番の目玉はやはり都はるみさんの復活だったように思います。第1部昭和の歌手だけの出場枠でトリをとったのですからね。
そして番組開始もそれまでの9時開始より早く7時20分に番組は始まりました。
いつもの年なら紅白の時間帯はNHKでは世界マジック・ショーというのをやっていて、みんなはレコード大賞を見てから紅白というのが普通でありました。昭 和から平成にといった時代の移り変わりの中で、大晦日の過ごし方もこの頃から大きく変わっていった気がします。
 さて、ピンク・レディーのことですが、ここで再結成が成されたということは、ミーちゃんケイちゃんの中でひとつ区切りがついたのだろうか?と思いまし た。バッシングの末、ミジメな破滅を迎えたピンク・レディーでしたが、時が流れ、時代は確実に彼女たちの存在を認めてき、またふたりの仲もひとつステップ を上がったのだろうと思いました。
僕的には単純に”嬉しい”の一言に尽きるわけですが、この復活は後に待っている、再度に渡る復活への足掛かりとなりました。
ケイちゃんがある番組で「紅白が終わった後に萩本欽一さんにお会いしたら、ピンクさんがあんなに楽しそうに歌を歌ってるの初めて見たよって言われたの」と コメントしていましたが、僕も同感でした。動きこそちょっと遅れ気味の箇所もありましたが、表情はとても素敵でした。
本当にピンク・レディーを楽しんでいる。そう感じたものでした。
ペッパー警部〜UFO〜サウスポーのメドレーでしたが、思えばあれほど昭和歌謡史に燦然と輝く大ヒット曲は一度も紅白歌合戦で歌われていなかったというこ とが、今更ながらにして凄いことなのだ。と思います。
我々の知らない世界のことですが、歌の世界とは実にややこしいのだなぁと感じたものです。

 





当時の記事ですが、紅白が最後?なんて騒がれていたこともありましたね。
懐かしい話です。




おとなどうし
時 代が昭和から平成に変わって、MIEちゃん はまたしても大胆な変身をしました。
MIEといえば・・・踊って歌って・・・という印象がありましたが、MIEちゃんが新境地を開いたのが、演歌歌謡曲路線でした。
もともとピンク・レディー時代は歌謡曲全盛期、演歌歌手の方々との共演もよくあったことです。
でも、どちらかと言えば、ブラック色の強いディスコサウンドやその手のカバー曲などが多くありましたが、今回より3作続けてカラオケファンの方々に・・・ といった趣向の曲が続きます。
ちょっと小粋な大人の世界。まさに演歌の世界ですかね〜
ビクター時代に「窓辺から」という曲をリリース。ソニー時代にも「鏡の中の女」・・・と都会に生きる女性をテーマにした曲がありましたが、今回の「おとな どうし」はもっと大人になったMIEを見てください!とばかりの曲でした。
CMタイアップといった点からも84年のシングルNEVERのB面「おつだね」に続きお酒関連。
お酒のCMはやはり大人のMIEを存分にアピールしていたように思います。

この曲は飲み屋に行った時カラオケに入ってました。
さすがに歌ったことはなかったですが、行きつけの飲み屋でVだけ見せていただいた事があります。

往年のピンク・レディーファンからするとちょっと違和感のあった方もいらしたのでは?ないでしょうか?

僕は個人的に時代がレコードからCDに変わってシングルもこのCD−シングルとなり、
ピンク・レディー関連では先にご紹介しましたKeiさんのフランス盤を購入した後、MIEちゃんも出ないかなあ〜と思っていたので(CDシングルのこと) とても嬉しかった記憶があります。

ただ、僕個人としましてはこの頃より弱冠ボーカルの変化が見られた気がします。
ストレートに高い音を伸ばすところがMIEちゃん最大の特徴でしたが、こういった曲を歌うことにより低音の溜まる音が多くなった気がします。
歌手というものはそれぞれの持ち場というものがあって、MIEちゃんにはやっぱり洋楽関連の曲の方が味があったように思いました。

今でいうと(2006年)例えば氷川きよしがポップスを歌ってもはまらないというか魅力に欠ける。彼はやはりあの腹から思いっきり声を出し独特のこぶしで 演歌を歌うから魅力があるのである。

MIEちゃんの場合はやはりエンターテインメントショーが一番似合ってますね〜

でも、この頃はこの曲を応援してましたよ。
まだ、僕が大阪にいた頃のことです。
MIEちゃんがんばれ!ってな具合によく聴いていた1曲かなあ・・・

(2006年2月13日 記)



運命が変わる朝
ソ ロ活動を充実させているミーちゃんケイちゃん
MIEちゃんが4月に新境地を開けば、今度はケイちゃん
フランスでのデビューが話題を呼んでいますが、日本語詞をつけたヴォイス・コロンからのシングルカットがこちら
運命が変わる朝
(アルバムでは4トラック目A Man I Respectです)

な〜んてドラマティックなタイトルなんでしょうか?
エレガントなケイちゃんにはピッタリの新曲であります。

アルバムでは英語で歌っている本作。
英語の発音の方が軽くキュートなイメージの歌唱法ですが、日本語詞の方となるとやはり言葉がわかるからでしょうか?
ケイちゃん特有のあのドロッとした部分が特徴となるでしょう。
フランスでのアルバムは全体的にファルセットを多用していますが、この曲もサビで多用しています。

アレンジもこちらの方が弱冠ライトなイメージです。

タイトルがタイトルだけに新たな旅立ちといったスッキリ感が曲全体の印象に残りますね。

もちろん、カップリングのAMOUR MENTEURはモロフランスというかヨーロッパの高貴な感じの曲を収録。
シンセのイントロにピアノの響きが心地よい、わかりやすく言えば”おしゃれ”な1曲ですね。

MIEちゃんが夜のイメージの曲でいけばケイちゃんは朝ですか〜さすがはコンビネーションバッチリですね〜

しかし、ケイちゃんのフランス盤はこれが最後となり、再び彼女はkeiからケイちゃんへとなる日が訪れます。



ジンクス
MIE ちゃんの演歌路線?
歌謡曲路線第2弾はこれもハクツルのCMソングとして起用された「ジンクス」
なんだかんだいってMIEちゃんはCMやテレビ番組の主題歌などけっこう歌ってるんですよね〜

イントロからマルシアか?思ってしまうような曲。
当時、マルシアの曲と一緒に収めて聴いていましたから(笑)

しかし、この曲の方がMIEちゃんにはまだ合ってるかな?
多少テンポアップした分歌いやすそうに思いました。

ちょっと大人の雰囲気を感じる1曲かなあ
イメージ的には以前アルバム「NEVER」に収録していた、「ぎこちない芝居」的路線で前作「おとなどうし」よりは本来のMIEちゃん路線を大切にしつ つ、分りやすい歌謡曲の枠に収めた佳曲だと思います。
雰囲気的には”売れない曲”のように感じるかもしれませんが、意外とはまっているのでは?ないでしょうか。
窓辺からやコールガール鏡の中の女などの都会における男と女のドラマを描いた作品なので、路線の延長にはある曲かも知れませんね。
ただ、ちょっと残念なのが、曲とコスチュームのアンバランスさ。

この頃が一番際立っています。

黛ジュンばりの雰囲気は以前のMIEちゃんからはちょっと違うかななどと思っていたのであります。ハイ


2006年6月8日記




このページの最上部へ




[PR]動画