第一章 産声
1976〜77
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ピンク・レ ディー
日本の歌謡曲史上最大のデュオ。そのピンク・レディーが産声を上げたのは1976年8月のことであった
ペッパー警部 このなんとも奇妙なタイトルに託された野 望。それは産声をあげてから間もなくのことであった
現在過去未来をも席巻するピンク・レディーのパワー
そのパワーの秘密がここから始まるストーリーに隠されているのです
最後の最後までゆっくりお進み下さい
では・・・


PINKLADY Best Hit's Alubum

さあ、ピンク・レディーの楽しい道開幕です

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私たちのBestHit-Hstoryです

プ ロローグ編

B 面 はご覧下さい
ペッ パー警部 (3:13) 1976.8.25発売 最高4位
 (100 位以内42週 10位以内14週)105万枚

作 詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一
編曲:都倉俊一

B面
乾杯お嬢さん(3:08)
作詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一
編曲:都倉俊一



ピ ンク・レディーの楽しい道はこの曲に始まる。ペッパー警部。なんともおかしなタイトルである。しかしミーとケイのふたりが命 の次に大切と言っていた記念すべきデビュー曲であることには間違いない。というのもあの伝説のオーディション番組スター誕生で合格したときは「部屋を出て ください」というフォークソングで合格したものだから当初フォークデュオとしてデビューさせられそうだったからである。スター誕生のときはミーとケイのふ たりいわく作戦だったそうでホントはミニをはいてギンギンのロックなんかを歌いたかったとか。それをピンク・レディープロジェクトの面々が今までにない 斬新なものを!とふたりの想いを見透かしての判断だったのかはわからないが所属レコード会社ビクターの反対を押し切りデビュー。大きなカケに出たピンク・ レディープロジェクトの運命はこの後想いもよらぬ展開を迎えることとなる。最初の1ヶ月全く動きのなかったヒットチャートに変化が現れ始めたのは 10月のことだった。新宿音楽祭で銀賞を受賞したのが10月、この直後、今まで予想もしていなかったところからピンク・レディーブームに火がつい た。それは・・・子供。最初ピンク・レディーは中高生の男子をターゲットとして出発したのだが、どういうわけかなんと最初に飛びついたのは 小さな子供たちだったのだ。ペッパー警部という変わったタイトル。そしてミニスカートをはいてセクシーなダンスとともに歌い踊る姿は固定観念に縛られてい る大 人から見るとまるでキャバレーのショーでも見ているようで嫌悪感すら抱いた大人もいただろう。だからビクターの偉いさんたちも認めなかったのだろう。しか し、自由な発想を持つ子供たちから見るとなんとも面白いキャラクターに映ったのかも知れない。ピンク・レディープロジェクトの面々は意外なファンたちの登 場を歓迎した。当たった〜感慨深い瞬間であったのではないだろうか。
なにはともあれ、この曲がヒットしたお陰でピンク・レディーというブランドに血が通い始めた。
 では、この曲について当時のことを思い返すとこの曲を初めて聴い たのは8時だよ!全員集合だった。見終えた後はなんともインパクトだけが残った感じだった。その夜は眠れなかった記憶がある(笑)どうも、当時の自分には 刺激が 強かったよう だ(マセてたんでしょうか?笑)そのときはキャンディーズに良く似たグループとしか思えなかったが、しだいにはまっていく事に。ペッパー警部というタイト ルとあの振り付け。デ ビュー曲にとって一番大切なインパクトという点ではまさに大成功だったと思う。楽曲的にはB面の乾杯お嬢さんの方がいいと思うが、インパクトでは、ペッ パーですね。この曲をA面にしてくれてありがとうといいたいです。でも、このペッパー警部、うまく、作られてるなあと思います。さすがプロ。なんていった ら失礼ですね。ごめんなさい。 というのも、タイトルも振りもバッチリですが、なんといっても頭にサビを持ってきてるところです。ピンク・レディーの一連 のヒット曲でサビを頭に持ってきてるのは、このペッパーとモンスターだけなんですよ。デビュー曲なんてそうそう歌番組でも2コーラス歌うなんてないですよ ね。新人だし。だから短時間でみんなにアピールするには、頭にサビが 持って来いなんですよねえ。いやあさすが、この曲にはやはり大きな運がついていたんでしょうね。

S. O.S (2:40)  1976.11.25発売  最高1位1週 (100位以内37週 10位以内10週 3位以内7週)120万枚
作 詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一
編曲:都倉俊一

B面
ピンクの林檎(3:00)
作詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一
編曲:都倉俊一



記 念すべき (コレばっか)1位獲得曲。このあと9曲連続1位獲得という偉業を達成します。(今ではザラでしょうが、1位の期間が違う。13週1位とかあったんですか らね。3ヶ月近く1位なんて今では考えられないですよね。)この曲うちの親父がよく仕事しながら鼻歌で歌ってました。「この歌はいい歌じゃ」とかいいなが ら。(さすがに振りまではなかったですが 笑)ちなみに、大工でしたうちのおやっさんは。このエピソードからわかるように、ピンク・レディーがブラウン管 に多く出始めたということだろう。でも、当時(年末)賞番組が多くこのS.O.Sよりペッパー警部のほうがよく聴いていて何かの番組で見たときあまり馴染 めませんでした。が、年を越すと自然と馴染んでいた(単純!)今聴いてもペッパーほどのインパクトはないにしろ確実に普通の匂いのする中少しのひねりが心 地いい曲ですね。なんか塩コショウが効いてる感じです。(!?)ちょっとのひねりこのあとさらにエスカレートしていきます。ピンク・レディーストーリーの 序章といった感じのするS.O.Sでした。


カル メン’77 (3:34)  1977.3.10発売  最高1位5週  (100位 以内34週 10位以内13週 3位以内11週) 110万枚
作 詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一
編曲:都倉俊一

B面
パイプの怪人(2:48)
作詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一
編曲:都倉俊一



私 の名前は カルメンでっす!と思わずぶっ飛んでしまいそうな出だしで始まるカルメン’77。
この曲はS.O.Sよりかなりの高級品。ファンの方ならRemix盤とかお持ちでしょうけど、今風のRimixでも全然分らないくらいのクオリティの高さ がこの曲のもっとも注目すべき点なのです。S.O.Sあたりは今風より、もともとのアレンジのほうが良き時代の歌謡曲という感じで味が出るのですが、この カルメンはどう料理しても全く味が変わらないすぐれもの。といった感じです。曲の派手さ、コンセプトすべてが新しいピンク・レディーを感じたものでした。 ここまでの3曲でお分かりでしょうがなんでも3部作というものがあります。デビュー曲はインパクト2曲目はほのぼの塩コショウそして3曲目は曲のクオリ ティさの追求とピンク・レディープロジェクトは確実に可動しはじめていたのでした。



渚の シンドバッド (2:31) 1977.6,10発売 最高1位8週 
(100位 以内38週 10位以内15週 3位以内12週)
145万枚
作 詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一
編曲:都倉俊一

B面
パパイヤ軍団(2:42)
作詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一
編曲:都倉俊一



こ こにきて いよいよドッカーンといった感じの渚のシンドバッド。アアア・・・アアア・・・と何度聴いたでしょう。ピンク・レディーというマグマが一気に爆発ー!!で したね。この曲では、前作カルメンからなるさわやかお色気路線の延長といった感じでしたね。前作をさらに上回るさわやかさに誰もが ミーちゃんケイちゃんの とりこになってました。前作カルメンのとりこにしてみます〜がここにきて効いてきたようでした。それで最初の歌詞が言葉にならないアアアア・・・なんで しょうか?(笑)わけわからないコメントで申し訳ない。この頃の記憶であるのは、レコードを買ってもらったのはいいんですがレコードプレイヤーなるもの我 家にはなく(涙)親戚の家に行って聴かせてもらったことを覚えてます。今しか聴けないからスゴーク集中して聴いていたものでした。それとこの曲2パターン の振りがあったんですよ(ファンなら知ってるかな)最初白の衣装ではセクシーの部分とエンディングが違ってました。青い衣装のときは今定番になってる振り でしたね。覚えてます?僕は白衣装で歌うビデオ持ってますが、こちらもさわやかでいいもんです。ちなみにこの渚のシンドバッド77年度の年間1位でした。 年末のFNS歌謡祭でヒット賞受賞したことも記憶に残ってます。(この時、ケイちゃん盲腸炎で入院してましたのでミーちゃんひとりで歌ってましたね)

ウォ ンテッド(指名手配) (3:20) 1977.9.5発売 最高1位13週 
(100位 以内33週 10位以内20週 3位以内13週)
165万枚 
作詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一
編曲:都倉俊一

B面
逃げろお嬢さん(2:35)
作詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一
編曲:都倉俊一



ピンク・レディーの勢いが最高潮に達している頃、この曲は子供たちはもちろんのこと家庭の台所では主婦たちが、また夜の酒場ではサラリーマ ンのおやっさんたちがウ〜ウォンテッ!!を連発していたことだろう。ほんとに猫も杓子もピンク・レディーといった頃だった。実にこの曲こそ13週1位獲得 曲なのだ。9月の発売直後から次の新曲UFOが発売されるまでず〜っと1位だったというから脅威としかいいようがない。年末の賞レースでもレコード大賞大 衆賞をはじめ数々の賞を受賞。とくにこの年の歌謡大賞では沢田研二さんの「勝手にしやがれ」とわずか1票差で大賞を取り逃がすといったところまで急成長を 遂げたのであるから、もはやわずか1年半前スター誕生のころの印象など影も形もなくなっていた。デビュー前酷評を受けた歌手なのだろうか?と思えるほどピ ンク・レディーというブランドは強大になっていったのである。ピンク・レディーのヒット曲といえば、どの曲もかなりのインパクトがあるが、まず、全てにお いて最初の掴みが実に素晴らしい(イントロ含む)ペッパーは頭のサビS.O.Sは男は狼・・・という歌詞カルメンも同様シンドバッドは歌詞の無さアア ア・・・そしてこのウォンテッドはイントロ無しのいきなりマイクを交差するシーン。曲ごとにすべていい意味での裏切り行為が逆にみんなの心をひきつけて離 さなかった。今でもマイクを交差するシーンを見るとウォンテッドだと思う国民はかなりいると思う。ピンク・レディープロジェクトはこのあと更に夢の世界へ みんなを連れて行くことになる。

ちょっと一息コーナー
ピンク・レ ディーに魅せられたアイドルたち
ピンク・レディーの影響って後々のアイドルた ちを輩出する上で、非常に大きな役割を果たしてきたと思う。当時小中学生だった少女たちはピンク・レディーに憧れて芸能界入りしたという人たちがとても多 い。 ピンク・レディー関係の特番を組むと必ずといっていいほどアイドルと呼ばれる人たちが必ず出演してコメントしている。山瀬まみさん、小泉今日子さん、井森 美幸さん、中 森明菜さん・・・みんなピンク・レディーの振り付けを経て芸能界に入ったと思われる。(KYON2と明菜ちゃんは以前、夜ヒットでS.O,Sを歌ったこと もあ りますねえ)ピンクさんの後輩にあたるデュオWinkもピンク・レディーに憧れて憧れて歌手になったそうだし、NHK紅白に初出場の際にはピンクさんの応 援に感極まる表情で歌っていたことも覚えている(特にサッチンが)そんな中、森口博子さんのピンク・レディーの振り真似はかなりのものだった記憶がある。 以前 ある番組でピンク・メドレーをMIEさんが歌いアイドルたちが次々と歌っていったが、最後の渚のシンドバッドのとき森口さんだったが、まるでケイさんと 歌って いるような錯覚(ケイさん失礼!)を起こすほどの振りであった。それから後に別の番組で井森さんとUFOを歌ったが、・・・これは散々だった(笑)ことを 覚え ている。森口博子さんは91年復活時のピンク・レディー特番(NHK)でもメイン司会を務め、紅白出演時には明らかにピンクさんを意識したと思われ る衣装で歌っていたことも記憶に残っている。
次に南野陽子さん。2代目スケバン刑事としてメジャーなアイドルとなった彼女も実はかなりのピ ンクファンであり、ピンク・レディーブームの当時、小学生だった彼女はピンク・レディーならぬパンコ・レディーなるユニットを組んでピンクさんの振りを楽 しんでいたそうである。NTVのトップテン正月番組のとき、「もう、相当好きでした〜」と言ってましたしね。
当時、僕らと同世代だった人たちはみ〜んなピンク・レディーに夢をもらい、その中から夢を与える存在へと変わっていった人たち。そんな彼女たちも今ではア イドルは卒業し、それぞれの持ち味を生かして各方面で活躍している。
きっと、彼女たちも今回のピンク・レディーの復活を心から喜びまた楽しんでいることであろう。
あの夢中になって振りまねをしていた純粋な気持ちに戻って・・・。



当時のアルバム

ペッパー警部
ピ ンク・レディーの記念すべきファーストアルバム。
1977年1月25日発売
タイトル通りファーストシングルペッパー警部をモチーフにしたアルバムでこの頃のシングルS.O.Sと同様AB面の収録にミー、ケイそれぞれのソロ曲と洋 楽カバー曲とで構成されている。
このファーストアルバムを聴くと、まだ正直言って後々起こるあの大ブームなど予想もしていないようでごく普通の曲ばかりである。(まあその中でもシングル 2曲の個性は群を抜いているが)まさか、この後やれUFOだのモンスターだのと歌うとは全く思わなかったのではないだろうか?ただ、ピンク・レディーの方 向性はこのファーストからはっきりと表れていると思う。世界を視野に入れたコンセプト。それはB面に収録されている洋楽のカバー集である。このアルバムは A面とB面で全く別の顔を覗かせている。ココが!!ピンク・レディーが今でもアメリカ進出した割りにアイドルアイドルとしての評価しかない要因なのかも知 れません。要はアメリカ進出はB面になってしまっているのでしょうね。ステージシンガーとして世界へ!というコンセプトのもとデビューしたピンク・レ ディー。そんな想いがこのファーストでは感じることが出来ます。でも、洋楽カバーだけを聴いてもやはりインパクトがなさ過ぎて物足りなさを感じることも正 直な気持ちです。だから、まだ本人たちの歌唱にインパクトが薄い時期(まだ味というより基本に忠実ということです)にこれだけ強烈なイメージのシングル曲 が手伝ってくれているのだ、と思う。ケイとミー(この頃はこう書いてました。のちにミーとケイになりました)それぞれのソロ曲もふたりの声質を良く生かし た楽曲でごく普通のアイドル歌謡的だがかわいいというよりもっと違った雰囲気を感じてしまう。大きな野望を持って結成されたピンク・レディープロジェクト はこのファーストアルバムの中に詰め込みきれないほどの想いがあったのではないか・・と思うのである。






チャレンジコンサート
1977年3月31日東京・芝の郵便貯金ホー ルでのピンク・レディーファーストコンサートの模様を録音したアルバム。ここでお気づきでしょうか?そうです。3月31日は?・・・そうですね。あの涙涙 のラストコンサートが行われた日ですね。ここでまたひとつ因縁が・・。OH!とこのコンサートの日・・ピンク・レディーとはなにか見えないもので運命がき まっているかのような偶然があるような気がします。
さて、このライブアルバムですが・・・聴いてびっくり、ほんとにデビューわずが半年の新人のステージでしょうか?と思うほどのステージングです。曲の選曲 も普通のアイドルでは歌えなさそうな楽曲が目白押し。モータウンのメドレーやソウルフルな曲など、とてもファーストコンサートとは思えないステージ構成で このころから実はピンク・レディーの方向性は世界に向いていてことがよく分ります。シングル「カルメン77」が新曲の頃でしたが、ミーとケイのそれぞれの ソロ曲も「フィーリング」「カントリー・ロード」など歌唱力なくして歌えない曲ばかり、中でもファンに大好評だったモータウン・ストーリー。かつてアメリ カで一世風靡したモータウンレーベルからのメドレーで客の心をがっちり掴んで離さないまさにトリコにしてみます〜というステージ振りには正直周りの関係者 も驚いたのではないだろうか?発声方も基本に忠実にストレートな歌いっぷり、声もよく出て歯切れもいい、ミーの高音とケイの低音がうま〜くミックスされて 心地いいぐらいの迫力で迫ってくる。パンチの効いた説得力のあるボーカルスタイルだけを聴 くと、ただのかわいらしいアイドルグループなどではないのだということが立証されると思う。ピンク・レディーの生ボーカルをフルに楽しむにはライブアルバ ムがお勧め!ふたりのライブアルバムには名盤が多いが余りメ ジャーではないので、この77年〜78年にかけて連発したライブアルバム全てご紹介したいと思います。全部デジタルで聴きたいですね〜。









サマーファイア77
・・・これは凄いライブアルバムです。名盤中 の名盤。ピンク・レディー、デビュー1年にして2枚組のライブアルバム。何故2枚組かというとそれだけカットするところがないほどのライブだったのです ね。前作よりも更にパワーアップしたステージングはピンク・レディーの真髄が聴けると思います。オープニングのブラックイズブラックからロックパワー炸裂 といった感じで始まるステージは実際に見たわけでもない僕でも想像のつくもので、それだけ臨場感あふれるライブ音源となっています。アバのダンシング・ク イーンも聴き所(日本語ですが)レイチャールズ、スティービーワンダー、ビートルズ・・・と世界のトップアーティストの曲を見事に自分たちのものにした ボーカルは爽快そのもの。特にミーちゃんの高音が最高に響いてます。ケイちゃんもあのホテル・カリフォルニアの訳詞をしたりとちょっとアーティスティック な一面の覗ける1枚。中でもチャレンジコンサートで好評だったモータウンストーリーの再現は前よりもっとパワーアップしています。歯切れのいいリズミカル なボーカルはやっぱり世界へいく為のものだと思う。このライブ音源でもっとも最高なのがロックンロール・コースター。ふたりの掛け合いで歌うこの曲は最高 に気持ちいい!当時渚のシンドバッドが大ヒット中で最高潮に盛り上がっている時期でまだ疲れ知らずといった若さが一番はじけているせいもあろうが、ショー ビジネスの世界でこれほど、若くてこれほど歌って踊れるデュオは彼女たちを残して他にいるだろうかと思ってしまう。今の二人の基本形がこのアルバムで聴け てしまう。アイドルの枠の中で判断するからどうしてもピンク・レディーはブームの一種としてしか捉えられない気がしてなりません。もったいないこれほど歌 えるのに〜と改めて感じるサマー・ファイア77ご紹介でした。











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